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東京地方裁判所 昭和55年(行ウ)91号 判決 1982年10月14日

東京都文京区本郷一丁目二四番地一〇号

原告

兼子志げ

右訴訟代理人弁護士

新井嘉昭

笠井收

東京都文京区本郷四丁目一五番地一一号

被告

本郷税務署長

竹原保

右指定代理人

布村重成

池田春幸

有賀喜政

佐藤孝一

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた判決

一  原告

1  被告が原告に対し昭和五三年二月二八日付けでなした原告の昭和五〇年分贈与税の決定及び無申告加算税賦課決定を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨

第二原告の請求原因

一  被告は、昭和五三年二月二八日付けで原告に対し、原告が昭和五〇年中に飯田國三(以下「國三」という。)から、同人所有の別紙一記載の各土地(以下「本件土地」という。)及び現金三〇万円の贈与を受けたとして、次表記載のとおり贈与税の決定(以下「本件決定」という。)及び無申告加算税賦課決定(以下「本件賦課決定」という。)の処分(以下「本件処分」という。)をなした。これに対する原告の不服申立ての経緯は、次表記載のとおりである。

<省略>

二  しかしながら、原告が國三から本件土地の贈与を受けたのは昭和四五年一月一九日のことであるから、右贈与税に係る申告書の提出期限は昭和四六年三月一五日である。したがって、被告は、右贈与税に係る決定を右期限から五年以内にしなければならない。しかるに、被告は、本件処分を右期限から五年を経過した後の昭和五三年二月二八日付けでなしたものである。また、原告が國三から受領した現金三〇万円は、原告が取得すべき地代であって同人から贈与を受けたものではない。よって、本件処分は違法であるから、取り消されるべきである。

第二請求原因に対する被告の認否

一  請求原因一は認める。

二  同二は争う。

第三被告の主張

一  本件土地及び現金三〇万円の贈与の経緯等について

1  原告の母である飯田茂よ(以下「茂よ」という。)は、昭和三〇年に死亡したが、その相続人は、子の原告、飯田久兵衛(以下「久兵衛」という。)及び飯田武(以下「武」という。)並びに代襲相続人の落合はる(以下「はる」という。)及び國三の五人であった。右相続に関連し、「原告(被控訴人)國三と被告(控訴人)久兵衛及び武との間の東京高等裁判所昭和三七年(ネ)第三九四号建物所有権確認・明渡請求控訴事件」及び「原告(被控訴人)久兵衛と被告(控訴人)飯田合名会社(以下「飯田合名」という。)との間の同裁判所昭和三九年(ネ)第二三六七号所有権移転登記手続請求控訴事件」(以下両事件を「本件各控訴事件」という。)が、いずれも同裁判所に係属し併合審理されていたところ、昭和四一年九月一九日右各当事者間において裁判上の和解が成立した。

2  右の裁判上の和解が成立した際、國三とはる及び原告との間において、「國三は、はる及び原告の面倒を見る。」旨の訴訟外の話合いが成立した。そして、國三は、原告が右話合いにもかかわらず國三の所有に係る土地の譲渡を希望していたので、原告に対し、「私は東京高等裁判所昭和三七年(ネ)第三九四号事件が昭和四一年九月一九日和解したるに附随して兼子志げに対し私が現在所有する土地の内約六四〇坪を贈与し、その所有権の移転登記の手続をなすことを承諾する。但し、贈与土地の状況により坪数に増減あるも異議ないこと。」と記載した同日付けの「覚書」と題する書面(以下「昭和四一年九月一九日付け覚書」という。)を差入れた。

3  しかし、國三は、その後になっても昭和四一年九月一九日付け覚書記載の約六四〇坪の土地について、地番及び坪数を特定することなくそのまま放置していた。このため、原告は、昭和四二年に入って國三に対し、電話で、どこの土地をもらえるのか特定するように要求したところ、同人は、原告に対し「前略、先般の電話の土地の件について当方では次の土地を予定しておりますが、ご検討下さい。」と記載した上、本件土地及び東京都江東区深川白河町二丁目一一番地五の土地(地積六八坪七合。以下「白河一一番五の土地」という。)(合計地積五八九坪五勺)を掲記した昭和四二年六月三日付けの書簡(以下「昭和四二年六月三日付け書簡」という。)を郵送した。

4  國三は、昭和四三年三月一九日に本件土地及び白河一一番五の土地に係る同年一月分から三月分までの地代名目で合計五万円を原告に送金し、以後昭和五〇年一二月末まで地代名目で月額二万五〇〇〇円あてを三か月分まとめて原告に送金した。これは、前記のとおり國三が原告の面倒を見る話合いが成立したことから、原告の生活援助のための生活費の一部あるいは小遣銭を、本件土地等に係る地代名目で送金したものである。

5  國三は、前記書簡で贈与の予定地としていた白河一一番五の土地の一部(地積三四坪三合七勺)を、昭和四四年九月一七日東京油業株式会社に譲渡した。

6  原告は、昭和四四年末ころ國三に対し、重ねて贈与する土地を明らかにしてもらいたい旨を要望したところ、同人は、原告に対し、「拝啓時下寒中の折皆様ご清栄の段お慶び申し上げます。扨、昨年秋当方所有地の譲渡予定地についてご意見がありましたが年末電話でお話しの通り、ご要望をいれて下記のように予定しますからお含み下さい。尚貴方でも成る可く早く譲渡受の態勢をとって下さい。それまで従来通り月額二五、〇〇〇円で送金到します。敬具」と記載した上、下記として本件土地及び東京都江東区深川白河町二丁目七番四の土地(以下「白河七番四の土地」という)を掲記した昭和四五年一月一八日付けの書簡(以下「昭和四五年一月一八日付け書簡」という。)を郵送した。ただし、白河七番四の土地の地積は一七九坪八合三勺であるところ、同書簡には七〇坪四合と表示された。しかし、原告は、昭和四九年に至るまで同書簡に対して何ら諾否の意思表示をせず、國三から送金される金員を黙って受領していた。しかも、原告は、同年の前半になっても、國三に対しては、単に登記手続をそろそろしたいと思うのだがという希望を述べただけで、同人との間で贈与土地の地番及び地積、贈与の時期等について具体的な話合いをしなかった。

7  一方、國三は、昭和四五年一月一八日付け書簡郵送後も、本件土地及び白河七番四の土地を自己の所有地として引続き管理していた。

すなわち、國三は、同年三月二日白河七番四の土地を同番四(地積一一五坪九合)と同番一一(地積六四坪二合三勺)に分筆し、同番四の土地を伊藤市郎、津久井芳子、篠崎隆則、有山和男等に、同番一一の土地を蓮見陽久及び菊間太郎にそれぞ賃貸し、昭和五〇年末までに三回賃料の増額改定をした。また、國三は、本件土地のうち扇橋一丁目四番六の土地の賃借人の一人である株式会社新栄商店(以下「新栄商店」という。)が昭和四九年六月一〇日梅谷弘之に対し、また、昭和五〇年一一月二五日株式会社東京即売(以下「東京即売」という。)に対し、借地権の一部を譲渡したことに伴い、同店から名義書換料としてそれぞれ三〇〇万円を受領するとともに、昭和四九年六月一〇日梅谷弘之との間で、昭和五〇年一一月二五日東京即売との間で、それぞれ賃貸借契約を締結し、右土地の賃借人の一人である佐々木智との間で同年三月三一日賃貸借契約を更新したほか、他の賃借人との間でも賃料の増額改定をした。更に國三は本件土地のうち扇橋一丁目四番一〇の土地の賃借人の一人である井上英男との間で同年九月一日賃借契約を更新し、他の賃借人との間でも賃料の増額改定をした。國三は、以上の土地に係る固定資産税等を納付し、各年分の賃料収入及び名義書換料について自己の所得として所得税の確定申告をしていた。

8  ところで、原告の代理人となった弁護士新井嘉昭(以下「新井弁護士」という。)は、昭和四八年に國三に対し、昭和四五年一月一八日付け書簡を基礎として贈与の土地を特定し、所有権移転登記手続をするよう申し入れ、以後同人との間で折衝を重ねた。その際、國三は、本件土地の一部及び白河七番四の土地を贈与の土地から除外したい旨を申し入れたところ、原告側は、本件土地の一部の除外には応じられないが、白河七番四の土地の除外は承諾する旨を述べた。こうして、原告と國三は、昭和五〇年四月ないし同年一〇月ころまでの間に、贈与の土地を本件土地とすることを合意した。その後両者間で所有権移転登記手続の話合いが整ったので、國三は、同年一二月二六日本件土地につき昭和四一年九月一九日の贈与を原因として原告に譲渡する旨の所有権移転登記(以下「本件登記」という。)の手続をなした。

9  そこで、國三は、昭和五〇年分所得税の確定申告に際し、所轄税務署長に対して「(注)昭和五〇年一二月一族、兼子志げに江東区扇橋一-四-六、一-四-一〇(賃借人八)の贈与を行った。五一年度から当方の地代収入約一五〇万円減の見込」と記載した書面を提出し、更に、昭和五一年三月二七日本件土地の賃借人に対し、地主が原告になった旨を通知した。

10  一方、原告は、本件登記が経由されるまでは、本件土地について國三と賃借人との間で賃貸借契約が締結・更新あるいは変更され、名義書換料が授受され、地代が増額されていた事実を全く知らなかった。本件登記後に右の事実を知った原告は、本件土地の地代を受領するため、東京都民銀行春日支店に原告名義の普通預金口座を新規に設定し、昭和五一年五月六日その旨を賃借人に通知した。また、原告は、本件土地の地代を受領するため、東京都民銀行春日町支店に原告名義の普通預金口座を新規に設定し、昭和五一年五月六日その旨を賃借人に通知した。また、原告は、同日、同月一三日及び同年六月二三日の三回にわたり、賃借人との間で、賃貸人の変更及び地代の増額改定を内容とする賃貸借契約の変更を行い、更に、同年七月二二日には本件土地のうち扇橋一丁目四番一〇の土地の一部を譲渡する等し、その収益について昭和五一年分から所得税の確定申告をした。

二  本件土地の贈与の時期について

以上の経緯から明らかなとおり、本件土地の贈与がなされるに至ったのは、昭和四一年九月一九日付け覚書に基づくものであるが、同覚書には債権の目的物として「私が現在所有する土地の内約六四〇坪を贈与」するとのみ記載され、未だ特定されていなかったので、その後原告と國三との間で贈与すべき土地の特定について話合いがなされた。しかし、國三は、贈与を少しでも遅らせるために土地の特定をせず、原告に対しては単に予定していると通知したり、あるいは賃貸土地に係る地代の名目で金員を送金したりしていた。ところが、原告代理人の新井弁護士から所有権移転登記手続をするようにとの申入れを受けるに及んで、國三は、これ以上贈与する土地の特定を延伸させることは困難であると判断し、それ以後同弁護士と話合いをした結果、昭和五〇年四月ないし同年一〇月ごろまでの間に、贈与する土地として本件土地を特定したものである。

贈与税は、受贈者が贈与により具体的に特定された財産を取得したことをもって受贈者に現実の担税力の増加をもたらすことに着目して課されるものであるところ、書面による贈与においては、通常その契約の効力が発生した時に受贈者において具体的に特定された受贈物に対する現実的使用収益権能を取得し得るものであるから、その時に当該贈与財産を取得したものとして贈与税を課するのが相当である。

これを本件についてみると、前叙のとおり國三は、「現在所有する土地の内約六四〇坪を贈与」と記載した昭和四一年九月一九日付け覚書を作成したのであるから、同人に贈与の意思があったことは同覚書上表示されているものということができ、したがって、法律上は同覚書による贈与があったものということができる。しかし、右の贈与は、一定の所有地のうちの一定面積の土地を贈与するというものであり選択債権というべきであるから、債務者國三の選択によって債権の目的が特定することになる。そして、國三は、昭和五〇年四月ないし同年一〇月ごろまでの間に本件土地を選択し、贈与の目的を本件土地に特定したのであるから、原告が國三から本件土地を贈与によって取得した時期はこの時であることが明らかである。したがって、同年分に係る贈与としてなした本件決定は正当であるといわなければならない。

三  贈与財産に係る課税価格について

1  本件土地の価額 五三六八万一〇五五円

本件土地は、贈与当時、別紙二のとおりないしないしの九画地に分けて賃貸されており、その評価額は別紙二のとおり合計五三六八万一〇五五円である。

2  現金 三〇万円

これは、前記一4のとおり、原告が國三から、昭和五〇年中に送金を受けた合計三〇万円であって、國三が原告に対する扶養義務に基づく生活費又は教育費として送金したものではないから、相続税法二一条の三第一項二号の非課税財産に該当するものではない。

四  本件決定の適法性について

以上のとおり、本件土地及び現金の課税価格は五三九八万一〇五五円であり、この範囲内でした本件決定には何ら違法はない。

五  本件賦課決定の適法性について

原告は、昭和五〇年分贈与税の法定申告期限である昭和五一年三月一五日(相続税法二八条)までに贈与税の申告書を提出すべき義務があるのに、これを提出せず、また、本件決定があるまでは右申告書を提出することができる(国税通則法一八条)にもかかわらず、これを提出しなかったものである。したがって、被告は、国税通則法二五条の規定により、原告に対し本件決定をしたものであり、同法六六条一項一号の規定に基づき、本件決定により納付すべき贈与税額三二四六万一〇〇〇円(同法一一八条三項を適用して一〇〇〇円未満の端数を切り捨てたもの。)に一〇〇分の一〇の割合を乗じて計算した金額三二四万六一〇〇円の本件賦課決定をなしたものであり、本件賦課決定には何ら違法はない。第四被告の主張に対する原告の認否

一1  被告の主張一1は認める。

2  同2のうち、國三が原告の面倒を見る旨の話合いが成立したことは争うが、その余は認める。

3  同3は認める。

4  同4のうち、國三から原告に主張のような金員の送金がなされたことは認めるが、右金員の趣旨は争う。右金員は本件土地等に係る地代である。

5  同5は争う。

6  同6のうち、國三が原告に対し昭和四五年一月一八日付け書簡を郵送したこと、同書簡には白河七番四の土地の地積が七〇坪四合と表示されていたことは認めるが、その余は争う。同書簡の趣旨は後述のとおりである。

7  同7のうち、國三が昭和四九年六月一〇日、昭和五〇年三月三一日、同年九月一日、同年一一月二五日それぞれ主張のような契約、名義書換料等の受領を行ったことは認めるが、その余は不知。

8  同8のうち、原告の代理人となった新井弁護士が昭和四八年に國三に対し、所有権移転登記手続をするよう申し入れ、以後同人と折衝したこと、國三が白河七番四の土地を除外したい旨申し入れ、原告がこれを承諾したこと、國三が昭和五〇年一二月二六日本件登記手続をなしたことは認めるが、その余は争う。

9  同9は不知。

10  同10は争う。

二  同二の主張の趣旨は争う。

三1  同三1のうち、本件土地の賃貸借関係、地積、奥行の距離及び間口の距離が別紙二記載のとおりであること並びに別紙二の計算関係は認めるが、評価基準及び評価額は不知。

2  同2の主張の趣旨は争う。

第五原告の反論

一  本件土地の贈与の経緯について

1  原告の母茂よは、昭和三〇月一二月二五日に死亡して相続が開始した。茂よは、生前同人名義の財産をほとんど有していなかったが、実質的に同人の個人資産である約二四〇〇坪の土地を、相続税等の対策上、同人が代表社員の地位にあった不動産管理業を営む飯田合名の所有名義にしていた。原告ら共同相続人も、右不動産は実質上茂よの遺産であると考えていた。

2  飯田合名名義の不動産のうち一部の土地は、昭和一五年二月二六日に國三(茂よの長男で昭和一三年に死亡した飯田新一の長男)に名義変更された(本件土地はその一部である。)。

3  國三は、昭和三一年東京地方裁判所に久兵衛及び武を相手方として、東京都江東区白河町二丁目一七番地一所在鉄筋コンクリート造陸屋根三階建居宅(一階四〇坪、二階四〇坪、三階九・七七坪。以下「白河の建物」という。)の所有権確認・明渡請求訴訟を提起し、一審で國三勝訴の判決があったが、久兵衛及び武が控訴した(東京高等裁判所昭和三七年(ネ)第三九四号事件)。更に、久兵衛は、昭和三八年東京地方裁判所に飯田合名を相手方として、同会社所有名義の土地につき所有権移転登記手続請求訴訟を提起し、一審で久兵衛勝訴の判決があったが、飯田合名が控訴した(東京高等裁判所昭和三九年(ネ)第二三六七号事件)。この結果、本件各控訴事件が東京高等裁判所に係属することとなったが、昭和四一年九月一九日昭和三七年(ネ)第三九四号事件について、当事者及び利害関係人飯田合名との間において、要旨次のような裁判上の和解が成立した。

(一)久兵衛及び武は、白河の建物が國三の所有であることを確認する。(二)久兵衛及び武は、右建物を昭和四二年三月末日までに明渡す。(三)飯田合名は、別件控訴事件(昭和三八年(ネ)第二三六号事件)を取り下げる。

4  右の裁判上の和解は、実質的には茂よの遺産分割協議の一環をなすものであるところ、久兵衛は、飯田合名の控訴取下げによって同会社所有名義の土地を取得することができ、また、國三は、既に昭和一五年飯田合名から不動産を取得しているのに対し、原告、はる及び武は茂よの遺産を取得できないことになるが、和解担当裁判官の意向は、原告、はる及び武についての細い条件を和解調書に記載することは適切でないので、右の和解とは別個に訴訟外で当事者間において協議するようにとのことであった。そこで、共同相続人五名は、和解成立の当日、右裁判官の意向に従って協議した結果、國三は原告に対して約六四〇坪の土地を贈与し、久兵衛は武に対して五〇〇万円を贈与すること、なお、國三は、姉のはるに対し、適当な財産を贈与することとの合意に達した。そこで、國三は、原告に対する贈与の約束を明確にするため、昭和四一年九月一九日付け覚書を作成し、原告に交付した。これによって、國三と原告の間には、國三所有に係る約六四〇坪の土地を原告に対して贈与する旨の合意が確定的に成立したものである。ただし、右の時点では、未だ贈与する土地は特定されていなかった。

5  原告は、昭和四二年から國三に対し、贈与する土地を特定するよう要請していたところ、同人は、同年六月三日付け書簡をもって原告に対し、贈与する土地として本件土地及び白河一一番五の土地を申し入れてきた。しかし、原告は、昭和四一年一九日付け覚書に記載された約六四〇坪の土地として比較して余りに面積が少なかったので、右の申入れを断った。その後も、原告は、國三との間で、再三にわたり贈与する土地について交渉したが、さして進捗しなかった。國三は、この間の昭和四三年三月一九日同年一月分ないし三月分の地代から固定資産税及び都市計画税を控除した五万円を原告に対して送金してきた。その後も、國三は、原告に対し、三か月ごとにまとめて一か月当たり二万五〇〇〇円の地代を送金してきた。

6  國三は、原告に対し、昭和四五年一月一八日付け書簡を郵送し、同書簡は翌一九日到達した。同書簡は、その記載内容から明らかなとおり、原告のかねてからの要望を容れて贈与する土地を指定し、原告に譲受けの態勢を取ることを求めたものであって、これにより贈与の土地が特定されたものである。そこで、原告は、同日國三に対し、電話で承諾する旨を伝えた。右の特定によって、國三と原告との間で、本件土地及び白河七番四の土地の贈与契約の効力が発生した。

7  國三は、右贈与契約の効力が発生した以後も、原告に対して一か月当たり二万五〇〇〇円の地代を送金してきた。これは、同人が、贈与によって本件土地及び白河七番四の土地の所有権が原告に移転したことを認めた上、本件土地及び白河七番四の土地の地代収入を原告に取得させるため、地代総収入から固定資産税等の公祖公課を控除した残額を送金してきたものである。原告も、これを承知し、自己の地代収入として受領していた。また、國三が贈与契約の効力発生後、未収の地代を立て替えて原告に送金してきた事実や同人が白河七番四の土地の分筆のために行った測量費九〇〇〇円を原告が地代の中から支払った事実があり、これらはいずれも本件土地及び白河七番四の土地の所有権が原告に移転したことを裏付けるものである。

8  ところで、國三は、贈与に係る本件土地及び白河七番四の土地の所有権移転登記手続を延伸することにより更新料、名義書換料等を不当に取得しようと考え、原告に対しては、贈与契約の効力発生後も賃貸借契約の内容、特に更新時期、更新料、名義書換料等を隠して全く明らかにせず、原告が折りあるごとに贈与契約の履行を求めても、そのうちにと言葉を濁してこれに応じようとはしなかった。原告としては、國三との身分関係や贈与の経緯等を配慮して、強硬な履行請求を極力回避していたのであるが、時間が無為に経過し余りに不誠意であったため、やむなく昭和四八年初め新井弁護士にこれを委任した。しかし、その後も原告は、訴訟等の手段に訴えることを避け、円満に完了するよう努力した。

9  新井弁護士は、同年七月に國三を訪れ、昭和四五年一月一八日付け書簡に記載された本件土地と白河七番四の土地の所有権移転登記手続を求めた。これに対し國三は、右土地を贈与したことは承認していたが、直ぐには履行できないとし、その理由として、姉のはるに対して、未だ何も面倒を見ていないので、それに優先して原告に履行することはできないこと、本件土地及び白河七番四の土地の賃借人である向井建設株式会社と新栄商店が、同人に対して賃借土地の底地を買取りたいと申し入れてきており、原告がいきなり地主として交渉してもうまく行かないから、同人が交渉しその名義で売却する方が得策であることを挙げた。原告も、右の申出を喜んで承知した。こうして、國三は、昭和五〇年まで売却の交渉を続けたようであった。しかし、結局右の交渉はまとまらなかった。

10  國三は、昭和五〇年四月原告に対し、贈与した土地のうち白河七番四の土地を除外してもらいたいと申し入れてきた。その理由は、はるに譲渡するものがなくなること、本件土地を永年管理してきた謝礼として白河七番四の土地の履行を免除して欲しいことというものであった。

原告は、この申入れを承諾した。

11  國三は、その間も所有権移転登記手続を延伸させて更新料等を不当に取得しようと考え、同年三月三一日佐々木智から更新料三〇万円、同年九月一日井上英男から更新料一〇〇万円、同年一一月二五日新栄商店から名義書換料三〇〇万円を取得した。本件登記は、この直後の同年一二月二六日に経由された。

二  本件土地の贈与の時期について

前叙のとおり國三と原告は、國三所有に係る約六四〇坪の土地を原告に対して贈与する旨の合意をしたが、右時点では未だ贈与する土地は特定していなかった。そこで、國三は、昭和四五年一月一八日付け書簡をもって原告に対し贈与する土地として本件土地及び白河七番四の土地を特定し、同書簡は翌一九日原告に到達し、原告は同日これを承諾した。これによって、贈与土地が確定的に定まり、贈与契約の効力が発生し、原告が右土地の所有権を取得した。その後、昭和五〇年四月になって、國三と原告は、白河七番四の土地を贈与の土地から除外することになり、原告は國三にこれを返還する旨を合意したものである。

ところで、相続税法基本通達六条一項によれば、「財産取得の時期は、……贈与の場合にあっては、書面によるものについてはその契約の効力の発生した時」によるものとされている。これを本件についてみると、本件土地の贈与は書面による贈与であるから、原告がその所有権を取得した時期は効力の発生した時、すなわち、本件土地が特定した昭和四五年一月一九日であることが明らかである。したがって、被告の主張は失当といわなければならない。

三  現金三〇万円について

被告の主張する現金三〇万円は、原告が昭和五〇年中に國三から受領した地代の合計額であるところ、前叙のとおり、これは、原告が贈与によって所有権を取得し、賃貸人の地位を承継するに至った後の地代であるから、当然原告の所得であって、國三から贈与されたものではない。したがって、被告の主張は失当である。

第六原告の反論に対する被告の認否

一1  原告の反論一1のうち、原告の母茂よが昭和三〇年一二月二五日に死亡したことは認めるが、その余は不知。

2  同2は認める。

3  同3は認める。

4  同4のうち、國三が昭和四一年九月一九日付け書簡を作成して原告に交付し、これによって贈与契約が成立したものの、未だ贈与する土地が特定されていなかったことは認めるが、その余は不知。

5  同5のうち、原告が昭和四二年から國三に対し、贈与する土地を特定するよう要請していたところ、同人から昭和四二年六月三日付け書簡により贈与する土地について通知してきたこと、國三から原告に対し主張のような金員の送金がなされたことは認めるが、その余は争う。

6  同6のうち、國三が昭和四五年一月一八日付け書簡を原告にして郵送したことは認めるが、その余は争う。

7  同7のうち、國三から原告に主張のような金員の送金があったこと、分筆の測量費が原告に送金される金員の中から控除されたことは認めるが、その余は争う。右金員は地代ではない。

8  同8は争う。

9  同9のうち、新井弁護士が昭和四八年に國三に対して所有権移転登記手続を求めたことは認めるが、その余は争う。

10  同10のうち、國三が原告に対し、白河七番四の土地を除外したい旨申し入れ、原告がこれを承諾したことは認めるが、その余は争う。

11  同11のうち、國三が昭和五〇年三月三一日佐々木智から更新料三〇万円、同年九月一日井上英男から更新料一〇〇万円、同年一一月二五日新井商店から名義書換料三〇〇万円をそれぞれ取得したこと、本件登記が同年一二月二六日に経由されたことは認めるが、その余は争う。

二  同二のうち、相続税法基本通達の内容が原告主張のとおりであることは認めるが、その余は争う。

三  同三は争う。

第七証拠関係

一  原告

1  甲第一号証、第二号証の一、二(同号証の二の書込み部分は、原告が記入したものである。)、第三ないし第六号証、第七ないし第九号証の各一ないし三(第九号証の三の書込み部分は、原告が記入したものである。)、第一〇、第一一号証の各一、二、第一二、第一三号証

2  証人飯田國三及び同新井嘉昭の各証言並びに原告本人尋問の結果

3  乙第一ないし第四、第一四号証の一ないし八、第一五ないし第一七号証、第一八号証の一、二、第一九、第二〇号証、第二三号証の一、二、第二四ないし第二七号証、第二八号証の一、二、第三〇、第三一号証の成立(第一四号証の一ないし八、第一九、第二〇号証、第二三号証の二、第二八号証の一、二については原本の存在及び成立)は認める。第三二号証の成立は不知。その余の乙号各証の原本の存在及び成立は不知。

二  被告

1  乙第一ないし第四号証、第五号証の一ないし三、第六ないし第一三号証、第一四号証の一ないし八、第一五ないし第一七号証、第一八号証の一、二、第一九ないし第二二号証、第二三号証の一、二、第二四ないし第二七号証、第二八号証の一、二、第二九ないし第三二号証

2  証人飯田國三の証言

3  甲第一号証、第二号証の一、第三ないし第五号証、第七、第八号証の各一ないし三、第九、第一〇号証の各一、二の成立(第五号証については原本の存在及び成立)は認める。第二号証の二、第九号証の三の各書込み部分の成立は不知、その余の部分の成立は認める。第一一号証の二、第一三号証の各官署作成部分の成立は認めるが、その余の部分の成立は不知。その余の乙号証の成立は不知。

理由

一  原告の請求原因一は、当事者間に争いがない。

二  そして、原告が國三から本件土地を贈与により取得したことについては当事者間に争いがないところ、原告が本件土地を取得した時期について、被告は昭和五〇年四月ないし一〇月ころと主張するのに対し、原告は昭和四五年一月一九日と主張する。

贈与税の納税義務の成立時期は、贈与による財産の取得の時であり(相続税法一条の二、国税通則法一五条二項五号)、贈与により取得した者は、取得の年の翌年の二月一日から三月一五日までに贈与税の申告書を所管税務署に提出しなければならず(相続税法二八条)、申告書の提出がない場合には、右法定申告期限から五年間は、税務署長において贈与税の決定を行うことができる(国税通則法二五条、七〇条三項)。そして、右の財産の取得の時とは、不動産の贈与についていえば、原則として、所有権移転の時をいうと解される。相続税法基本通達六条一項が「財産取得の時期は、……贈与の場合にあっては、書面によるものについてはその契約の効力の発生した時」によるものとすると定めていることについては当事者間に争いがないところ、この通達も、贈与契約の効力発生と同時に所有権等の移転の効果が原則として発生するとの見解に立ち、契約の効力の発生した時をもって財産取得の時期とすると定めたものであって、結局は、所有権等の移転の効力が発生した時をもって贈与による財産取得の時期として取り扱う趣旨と解される。したがって、不動産の贈与契約が締結されても、将来において目的物の所有権を移転することを特に定めた契約や、目的物の特定を欠く契約の場合には、契約の効力発生の時に所有権の移転があったものとはいうことができないから、かかる場合には現実の所有権移転又は目的物の特定があった時に財産の取得があったものというべきである。

三  そこで、本件土地の所有権が國三から原告へ移転した時期を検討するに、次の事実については当事者間に争いがない。

1  國三は、原告に対し、「私は東京高等裁判所昭和三十七年(ネ)三九四号事件が昭和四十一年九月十九日和解したるに附随して兼子志げに対し私が現在所有する土地の内約六四〇坪を贈与し、その所有権移転登記の手続をなすことを承諾する。但し贈与土地の状況により坪数に増減あるも異議ないこと。」と記載した昭和四十一年九月一九日付け覚書を差し入れた。

2  しかし、國三は、同覚書記載の約六四〇坪の土地について、地番及び地積を特定することなくそのまま放置していた。このため、原告は、昭和四二年に入って國三に対し、電話でどこの土地をもらえるのか特定するよう要求したところ、國三は、原告に対し、「前略、先般の電話の土地の件について当方では次の土地を予定しておりますが、ご検討下さい。」と記載した上、本件土地及び白河一一番五の土地を掲記した昭和四二年六月三日付け書簡を郵送した。

3  また、國三は、原告に対し、「拝啓時下寒中の折皆様ご清栄の段お慶び申し上げます。扨、昨年秋当方所有地の譲渡予定地についてご意見がありましたが、年末電話でお話しの通り、ご要望をいれて下記のように予定しますからお含み下さい。尚貴方でも成る可く早く譲渡受の態勢をとって下さい。それまで従来通り月額二五、〇〇〇円で送金致します。敬具」と記載した上、下記として、本件土地及び白河七番四の土地(ただし、地積は七〇坪四合)を掲記した昭和四五年一月一八日付け書簡を郵送した。

四  原告は、昭和四五年一月一八日付け書簡は贈与土地を特定するものであり、かつ、同書簡は翌一九日原告に到達し、原告において同日國三に対し承諾の意思表示をしたから、原告は同日本件土地を取得したものである旨主張する。

1  しかしながら、昭和四五年一月一八日付け書簡自体をみても、「当方所有地の譲渡予定地」、「下記のように予定しますからお含み下さい」、「貴方でも成る可く早く譲渡受の態勢をとって下さい。」などの文言が使用されており、國三が同書簡により本件土地及び白河七番四の土地の所有権を確定的に移転させる旨の意思表示をなしたと認めることはできない。その上、同書簡は、贈与の目的物として本件土地及び白河七番四の土地を一体的に掲げ、かつ、白河七番四の土地の地積を七〇坪四合と表示しているところ、弁論の全趣旨によると白河七番四の土地の地積は当時一七九坪八合三勺であったことが認められる。したがって、同書簡は、白河七番四の土地の一部である七〇坪四合をその位置を特定することなく掲げるにとどまったものというべきであるから、結局のところ目的物の特定をも欠くものといわざるを得ない。

2  更に、次の事実についても当事者に争いがない。

國三は、昭和四五年一月一八日付け書簡の郵送後も、本件土地について、次のような行為をした。すなわち、本件土地のうち扇橋一丁目四番六の土地の一部の賃借人である新栄商店が昭和四九年五月一日梅谷弘之に対して借地権の一部を譲渡した際、右譲渡を承諾し、同商店から同年六月一〇日名義書換料三〇〇万円を受領し、同日梅谷弘之との間で賃貸借契約を締結した。また、いずれも扇橋一丁目四番六の土地の一部の賃借人である佐々木智との間で昭和五〇年三月三一日、井上英男との間で同年九月一日、それぞれ賃貸借契約を更新し、更新料三〇万円と一〇〇万円を受領した。更に、新栄商店が同年一一月二五日東京即売に対して扇橋一丁目四番六の土地の借地権の一部を譲渡した際も、右譲渡を承諾し、同商店から同日名義書換料三〇〇万円を受領し、同日東京即売との間で賃貸借契約を締結した。

3  成立に争いのない乙第一ないし第四号証、第一五号証、証人飯田國三の証言、同証言により原本の存在及び成立の認められる乙第一〇ないし第一三号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第一四号証の一ないし八、第一九、第二〇号証、原告本人尋問の結果によると、次の事実が認められる。

國三は、従前から本件土地及び白河七番四の土地の地代収入、名義書換料等を賃借人から徴収し、これを自己の不動産所得として所得税の確定申告をし、固定資産税・都市計画税も支払っていたが、昭和五〇年分確定申告の際、所轄税務署に対し、同年一二月原告に本件土地を贈与したので、昭和五一年分から地代収入が減少する旨を申し出た。更に、國三は、同年三月下旬本件土地の全賃借人に対し、原告が新たに賃貸人となったことを通知した。一方、原告は、従前、自己名義で本件土地に係る公租公課を支払ったことがなく、賃借人から直接地代を受領したこともなく、本件土地に係る不動産所得について所得税の確定申告をしたこともなかった。しかし、原告は、昭和五一年分から本件土地の公租公課を支払い、同年四月分から本件土地の賃借人より地代を受領し、同年五月から六月にかけて本件土地の賃借人との間で、改めて賃貸借契約を締結し、地代の振込先として東京都民銀行春日町支店に自己名義の普通預金口座を開設し、その旨賃借人に通知したほか、同年分から本件土地に係る不動産所得につき所得税の確定申告をしている。

4  前掲乙第四号証、成立に争いのない乙第一七、第二六、第二七号証、証人飯田國三及び同新井嘉昭の各証言、原告本人尋問の結果によると、次の事実が認められる。

昭和四八年に原告の代理人になった新井弁護士は、同年七月國三と会い、昭和四五年一月一八日付け書簡に記載された本件土地及び白河七番四の土地につき所有権移転登記手続をしてもらいたい旨を申し入れた。これに対して國三は、姉はるにも財産を贈与しなければならないがそちらも未履行になっていること、本件土地の賃借人である新栄商店と向井建設株式会社が底地の買取りを希望しており、その売買交渉には自分が当たった方がよいことを理由にあげて、直ぐには応じられない旨答えた。そこで、原告側は、右売買交渉の推移を見守ることにした。次いで、新井弁護士は、昭和五〇年四月國三と会い、その後の経緯を聞いたところ、同人は、「売買の交渉は難しくなった。本件土地の測量が一部未了なので、もう少し待って欲しい。」等と述べるとともに、「白河七番四の土地をはるに渡したいので、贈与の土地から外して欲しい。」と申し入れてきた。そして、同年一〇月末ころ新井弁護士と國三とが三回目の話合いをした結果、白河七番四の土地を贈与の対象から除外し、贈与は本件土地のみにすること、本件土地の所有権移転登記手続は同年一二月に行うこと、本件土地に係る昭和五〇年分の固定資産税・都市計画税は國三が負担することとし、昭和五一年三月末までの地代は同人が取得することを合意した。國三は、昭和五〇年一二月二六日原告に対し、本件土地につき昭和四一年九月一九日の贈与を原因とする本件登記手続をなした(原告代理人新井弁護士が昭和四八年から國三と贈与土地について話合いをしたこと、白河七番四の土地を贈与の対象から除外することに両者が合意したこと、國三が本件登記手続をなしたことは、当事者間に争いがない。)。

5  前掲乙第二号証及び弁論の全趣旨によると、原告は、昭和四五年に本件土地の贈与を受けた旨の贈与税の申告を行っていないことが認められる。

以上の事実に、前掲乙第三、第四、第一七号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第二八号証の一、二、証人飯田國三の証言を併せ考えると、昭和四五年一月一八日付け書簡により本件土地の所有権移転の効果は発生しておらず、國三と原告とは、昭和五〇年一〇月に、國三が原告に本件土地を贈与すること、所有権移転の時期は所有権移転登記の日とすることを合意したものであり、本件土地の所有権移転の時期は本件登記のなされた昭和五〇年一二月二六日と認めるのが相当である。

五  ところで、成立に争いのない甲第七ないし第九号証の各一ないし三(第九号証の三の書込み部分を除く。)、第一〇号証の一、二、証人飯田國三の証言、原告本人尋問の結果によると、次の事実が認められる。

國三は、原告に対し、昭和四三年三月一九日、本件土地及び白河一一番五の土地の同年一月ないし三月の三か月分の地代が税金控除後四万八七四〇円になるので、五万円を送金する旨書き添えて同金額の送金を行い、同年七月二日、同年四月ないし六月の三か月分の右地代が税金控除後七万五二七六円になるので七万五〇〇〇円を送金する旨書き添えて同金額の送金を行い、同年一〇月八日、同年七月ないし九月の三か月分の右地代が税金控除後七万五二六七円になるので七万五〇〇〇円を送金する旨及び今後とも三か月ごとに七万五〇〇〇円を送金する旨書き添えて同金額の送金を行い、以後昭和五〇年一二月まで三か月ごとに七万五〇〇〇円の送金を行い(ただし、昭和四五年四月七日送金分については白河七番四の土地の測量費九〇〇〇円を控除した。)、昭和五〇年中の送金は合計三〇万円となった(以上の金額の送金については、当事者間に争いがない。)。

右送金の事実は、本件土地等の所有権が既に原告に移転したため、國三がその地代を原告に送金したのではないかとの疑問を一応生じさせるが、前掲乙第三、第四号証、成立に争いのない乙第一六号証、証人飯田國三の証言によると、昭和四五年一月一八日付け書簡で贈与土地が本件土地及び白河一一番五の土地から本件土地及び白河七番四の土地に変更になり、かつ、本件土地等の地代も途中二、三回増額改定されているにもかかわらず、送金額は昭和四三年四月分以降昭和五〇年一二月分まで三か月七万五〇〇〇と一律であったこと、測量費九〇〇〇円は白河七番四の土地の分筆のために要した要用であり、國三は分筆した土地を原告に贈与する予定であったため測量費を控除したこと、國三が昭和四一年九月一九日付け覚書で原告に対し約六四〇坪の土地の贈与を約束したのは、茂よの遺産の分割に関する共同相続人間の紛争に端を発するもので、原告に対する遺産分割に代わるものとして、國三が茂よの生前に実質上同人から譲渡された土地の一部を分与する趣旨であったこと、したがって、同覚書に贈与の履行時期は明記されていなかったものの、原告としては早期の履行を期待する性格のものであったことが認められる。これらの事実に前記認定事実を総合すると、國三は本件土地の所有権が原告に移転したからその地代を送金したものではなく、土地の贈与の履行が遅れていたため、その代償として土地の果実というべき地代に相当する額の金員を送金したものと認めるのが相当である。換言すれば、右金員の送金は、昭和四一年九月一九日付け覚書の趣旨を全うするためのもので、本件土地とともに贈与の目的物を成すものである。したがって、右送金の事実は、所有権移転時期に係る前記四の認定を左右するものではなく、他に同認定を覆すに足りる証拠はない。六 以上のように、本件土地の所有権は昭和五〇年一二月二六日に移転し、原告は同日本件土地を贈与により取得したものというべきであるから、本件処分が原告の本件土地の取得時期を昭和五〇年とした点に違法はないものというべきである。

七  そこで、本件土地の価額について検討するに、本件土地の賃貸関係、地積、奥行の距離及び間口の距離が別紙二記載のとおりであることは当事者間に争いがないところ、成立に争いのない乙第三〇、第三一号証、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第三二号証によると、本件土地の価額は別紙二記載のとおり五三六八万一〇五五円と認められる。

八  そして、前記五のとおり、原告は昭和五〇年中に國三から現金三〇万円の贈与を受けている。なお、所有権移転時期が和年五〇年一二月二六日であるため、右金額の一部は地代ではないかとの疑問も一応生ずるが、前記のとおり、昭和五一年三月分までの地代は國三において取得する旨合意されていたのであるから、右金額には含まれておらず、その全額が土地の贈与が延伸していることの代償として贈与されたものというべきである。そうすると、原告は贈与により本件土地及び現金三〇万円を取得したもので、右贈与に係る課税価格は五三九八万一〇五五円となるから、その範囲内でなされた本件決定は適法である。また、原告は、昭和五〇年分贈与税の法定申告期限である昭和五一年三月一五日までに申告書を提出すべき義務があるのに、これを提出せず、かつ、本件決定がなされるまでに申告書を提出することができる(国税通則法一八条の一項)のに、これを提出しなかったものであることは、弁論の全趣旨によって明らかであるから、同法六六条一項一号の規定に基づき本件決定による納付すべき贈与税額三二四六万一〇〇〇円(同法一一八条三項により端数切捨て。)に一〇〇分の一〇の割合を乗じて計算した金額三二四万六一〇〇円に相当する無申告加算税を課した本件賦課決定は適法であるというべきである。

九  よって、原告の本訴請求は失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 泉徳治 裁判官 大藤敏 裁判官菅野博之は海外出張中につき署名捺印できない。裁判長裁判官 泉徳治)

別紙一

物件目録

(一) 東京都江東区扇橋一丁目四番六

(地目)      宅地

(登記簿上の地積) 一〇六一・〇九平方メートル

(実測の地積)   一〇六一・〇六平方メートル

(二) 同所同番一〇

(地目)      宅地

(登記簿上の地積) 六五九・〇七平方メートル

(実測の地積)   六五九・〇九平方メートル

別紙二 本件土地の評価計算表

<省略>

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